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梶浦 明日香さん(前編)

Moderna - 2 February, 2024

技術を伝え、魅力を伝え、日本の伝統工芸の未来を拓く<前編>

繊細な技巧と高い芸術性で人々を魅了する伝統工芸。日本の伝統工芸は世界的に注目を集めており、特に漆、浮世絵、刀などはたびたび美術館で展覧会が開催されています。ここに『根付』を加えて日本の4大芸術と称されることもあるそうですが、根付と聞いてどんな工芸品かイメージできる日本人は少ないのではないでしょうか。

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梶浦明日香さんは、伝統工芸『伊勢根付』を伝承する数少ない職人の一人です。なぜ職人の道を志し、また職人として何をめざすのか。今回は個人としての将来だけでなく、伝統産業全体の未来を見据える梶浦さんの活動と想いを紐解いていきます。その活動は、モデルナのマインドセットに重なる部分が多々あります。 

職人の世界に光を当てるため、自ら職人に

現在は伊勢根付の職人として活躍する梶浦さんですが、以前はNHKのキャスターを務めていました。華やかな世界にいながら、なぜ一見地味な職人の世界に飛び込んだのでしょうか。

「19歳からアナウンサーとして働き始め、大学卒業後はNHKに入局しました。職人の世界に触れたのは、NHK津放送局の情報番組内で『東海の技』というコーナーを担当し、さまざまな職人さんを取材させていただいたのが初めです。そこで職人の技に魅了されたのはもちろん、考え方や信念にも惹かれたんです。歳を重ねるにしたがって現場から離れていくことが多くなり、やりたいことをできる場がどんどん狭くなって成長できる機会が減っていく気がしていました。でも職人の世界は一生成長するという考え方です。若いということは未熟であり、逆に歳を重ね経験を積むほどにいい作品が作れる。職人としての価値が上がるんです。人は絶対に歳をとるんだから、歳をとることを喜べる生き方がいい、と感じました」。

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NHKで活躍されていたころの梶浦さん

また職人の社会的地位の低さを目の当たりにしたのも大きな理由と言います。

「素晴らしい技を持ちながらも社会的には厳しい状況です。後継者不足にも悩まされている職人の実情を知り、『誰かなんとしてくれないか』という気持ちだったんですが、やがて『自分が当事者になってやってみたい』という考えに変わったんです」。

職人になる。そう決めた梶浦さんが門を叩いたのは、伊勢根付を手がける中川忠峰氏の工房。根付とは、巾着、煙草入れ、印籠などを着物の帯に垂らすために紐の先端に付ける留め具で、言わばストラップのようなものです。象牙、鹿の角、べっこう、木などを素材に、さまざまなデザインの装飾が施されており、日本独自の美術品として世界的に高く評価されています。中でも伊勢根付は、伊勢神宮の奥の院とも呼ばれる朝熊ヶ岳(あさまがたけ)に生える黄楊(つげ 素材とした、木材特有の温もりを感じる彫刻です。

「箱根のからくり箱のような謎解きや、作る人と使う人の知恵比べみたいなのがもともと好きだったんです。根付にも祈り、願い、洒落、遊び心、おかしみなど、さまざまな要素がデザインとして込められていて、それに気づいたときはすごく嬉しい。ここはこういう意味があってって話したくなったり、使う人が自慢したくなるようなものを作るってすごく面白いなって思って。また同じ形を作るのではなく、自分ならではの味みたいなものを加えられるという点でも、根付に惹かれました」。

取材を通して中川氏と出会い、技術と人柄に惚れ込んだという梶浦さんは、アナウンサーを務める傍ら2008(平成20)年から中川氏の元へ教えを請いに通い始めました。

「初めは取材を受けていただいたお礼と称して、何度も通っているうちにちょっと体験してみて、できたら少し難しい技術を教えてもらってという、弟子入りと言うよりも体験入学みたいな感じでした。師匠の工房には常にいろんな人が遊びに来ていたので、師匠にとってはその中の一人という感覚だったかもしれませんね」。

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「1帖あれば仕事ができるんです」と、暖かな日差しを浴びながら縁側で根付を掘る梶浦さん

当初は勤めながら通う日々でしたが、翌年にはNHKを退職し、職人業に専念しました。

悩み多き若手職人が集い、活躍できるグループ活動

若手職人として研鑽を積んでいた2012(平成24)年。梶浦さんは三重県内の若手職人6名による『常若(とこわか)』というグループを結成しました。

「常若を作ったきっかけは、ただ仲間を作りたかったんです。若手職人は一人ぼっちで修行して、一人で悩んで辞めていっちゃう人がすごく多くて。不安になっても、話を聞いて想いをわかってくれる人がいるだけで続けられるのに、横のつながりが無いんです。私はすごくいい師匠についたので愚痴を言いたいわけじゃなかったけど、それでも不安はあって、誰かと話したい気持ちもわかるんです。それに私が職人になったのは、伝統工芸がなくなっちゃうという危機感からなので、若い人をどうすれば守れるか、その活動をしなければ私がこの世界に入った意味がないぞと思って。みんなで食事したり遊びに行ったりしよう、ぐらいのところから誘いをかけて、そこから生まれたのが常若です」。

梶浦さんと同じ伊勢根付のほか伊勢型紙、伊勢一刀彫り、漆芸の職人から成る常若は、単なる親睦の集まりにとどまらず、やがて展示会やワークショップの依頼も舞い込んでくるように。若手職人だからこその発想や行動力が実を結び、各分野の工芸品と自身の作品を周知できる場となりました。

しかし悩みもありました。活動を盛り上げていこうと想いがはやる一方で、それぞれ仕事を持つ同士が集まっている性質上、ここぞというタイミングでどうしても足並みが揃わない場面もあったのです。

そんなとき、他県の女性若手職人たちと出会う機会があり、女性職人ならではの悩みを吐露し、共感し合ったそうです。

「職人としてこの仕事一本で食べていくって、やはり大変なこと。今のままではいけないということは感じていて、そうやって悩んでいるのもみんな一緒だっていう話になったんです。また話の中で、職人の仕事って報われる場所があまりないということにも気づきました。企業に勤めていると、上司に認められたり、昇進というかたちで自身の評価が見えるでしょう。でも例えば筆だったら同じものを作り続けることが評価であって、誰かから注目されることも認められる機会もほとんどありません。そんな中でずっとやっていくことの苦しさってあるよねと、みんなが共感できたんです。だったら悩んでいる女性職人を集めて、評価されるような場を作る活動をすればいいんじゃないかということで、東海3県の女性職人9名が集まった『凛九(りんく)』というグループを結成しました」。

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伝統工芸を受け継ぐ女性職人たちが集った『凛九』

伊勢根付、有松・鳴海絞り、伊勢一刀彫り、尾張七宝、豊橋筆、伊勢型紙彫刻、伊賀くみひも、美濃和紙、漆芸、それぞれの伝統工芸を受け継ぐ女性職人たちが集った『凛九』。マスコミに勤めていた観点からすると、男性社会の中で若い女性職人の集団は注目されやすいということ、さらに注目をきっかけにして各方面からさまざまな話が持ちかけられ、メンバーそれぞれが望んでいるような方向に持っていけるのではないかという見通しもあったそう。

「凛九という旗を立てると、メンバーへの取材依頼や工芸展へ出展する機会がすごく増えました。工芸展でグループとして賞をいただいたとき、メンバーの一人が『夢のようです』と言ってくれて・・・。職人の世界は一生成長。でもずっと成長するって、途方に暮れるときもあるんです。そういう世界にいても、認められる場があると、続けることの不安が払拭されるというか、ちょっと希望が湧くんですよね」。

グループの特異性やメンバーそれぞれの人脈などもあり、凛九の名は広まっていきました。それと同時に活動の場も増えたことが、職人の道を歩き続けるモチベーションにもなっているようです。

グループでの活動を、将来を担う職人に繋げる

凛九の活動では、梶浦さんが企画を立てて仕掛けるといった営業活動も熱心に取り組んでいるそう。今後ますます活動の場が広がることが見込まれますが、メンバーの拡充も考えているのでしょうか。

「基本は私たちから声をかけてはいないんです。本人が今のままじゃダメだと真剣に考えれば、自ずと行動に表れるのではと思っていて。行動しないと未来はないし、だから私たちも凛九を作りました。それにグループ活動って結局助け合いが肝心なので、そういう理解も必要です。だからもし入りたいと思えば自分で行動するような人が、みんなで凛九の活動をしていくにはいいのかなと思っています」。

凛九は伝統工芸を世間に知ってもらうための活動であり、お金を稼ぐのはあくまで個人の活動です。しかし個人ではできないことがある。その壁を乗り越える挑戦ができるのも、凛九なのです。

「企業さんが各メンバーの作品を買い取っていろんな場所で展示してくださったり、YouTubeチャンネルを立ち上げてラジオ番組のようなことをしてみたり、凛九だからこそできた活動がたくさんありますし、これからも挑戦し続けたいです。師匠の年代の職人たちができなかったような活動をやっていくべきだなって思っています」。

梶浦さんと同様の熱意を持ったメンバーが集まる凛九ですが、フロントマンのような立場である梶浦さんならではの苦労もあるようです。

「職人って人前で話すことが苦手なんです。凛九のメンバーも同じで、初めは講演などで話すのを嫌がっていました。だから『今この場ならどんな状況になっても私が助けられるから話そう』って説得して、人前で話す経験を積んでいきました。20年後に自分がその工芸のリーダーになって話す立場になったとき、まったく経験していないより、今元プロの私のようなものがそばで支えている状況で経験を積んでおいた方が絶対にいいよって。そうやって自分の想いを言葉にする訓練をしていけば、それぞれの工芸を発信するリーダーになれるし、そういう人を育てないといけない。凛九はその手本のような存在になっていかなければならないのではと感じています」。

話せる職人がいれば、聴いてもらう場を作れる。聴いてもらう場があれば、工芸品や職人について知ってもらうことができ、後継者も増えるはず。梶浦さんはそんな新しい職人像と職人の未来をイメージし、活動に反映しています。

こうした凛九の活動について、上の年代の職人たちはどのように受け止めているのでしょうか。

「若手の女性というのは職人の世界ではちょっと異質な存在だから、『しょうがないよね』ってなっているところはあると思います。でも師匠たちが中心にいるからこそ、周りで自由に挑戦できているとも思っていて、私たちが中心にいるべき存在になったときは、今のように自由になんでも挑戦していいわけではないと思うんです。中心はブレちゃダメだし、だからこそ今できる私たちの役割ですね」。

同世代と次世代、さらに上の世代まで視野を広げ、志を同じくする仲間と共に伝統工芸を守ろうと活動する梶浦さん。職人として精進しなければならない一方で、他の職人にまで目を配るような活動は負担になるのでは?

「自分だけで自分だけのために動いた方が、速いし成果も上げやすいでしょう。そっちの方が楽だろうなと思うことはもちろんあります。でもそれって楽しいかと言うと、きっとみんなでやった方が楽しいんです。自分だけうまくやるよりも、みんなでやり遂げる方がいい。時間がかかることだし、無駄なこともいっぱいあると思うけど、その方が楽しいかなって」。

若手職人を孤立させず、成果と喜びを共有しながら新しい職人像を築き上げている梶浦さんですが、一職人としてはどのように活動し、どんな想いを抱いているのでしょうか。

後編ではご自身の作品づくりや今後の展望についてうかがいます。

◆プロフィール

梶浦 明日香(かじうら あすか)

岐阜県出身

大学時代からアナウンサーとして活躍し、卒業後はNHKに入局。取材を通じて出会った伊勢根付職人・中川忠峰氏に弟子入りし、アナウンサーを辞めて職人となる。若手職人グループ『常若』『凛九』を通じて活動の場を広げ、国内外を問わず展示会やワークショップを開催。若手職人の育成にも力を注いでいる。

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プロフィール 梶浦 明日香(かじうら あすか)