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本間りえさん(前編)

Moderna - 14 March 2023

本間りえさん 感謝の想いを胸に、挑戦し続けるつよさ<前編>

第一弾は、ALD(副腎白質ジストロフィー)を主とした患者会「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会」と、通所事業所「一般社団法人うさぎのみみ」の創設者である本間りえさん。ご自身の長男がALD患者であった経験から、重症心身障害児者とその家族が地域の中で過ごせる居場所を提供しています。

Interview > Rie Honma

<前編>

家族が突然難病を宣告されたとき、私たちはどんな想いを抱くでしょうか。ただ嘆き悲しむのか、少しでもよくなるための手立てを探すのか。

本間りえさんは自らのためだけでなく、同じ病気の患者さんとその家族のために立ち上がることを選びました。困難な状況にも負けず誰も進んだことのない道を切り拓いてきた本間さんに、これまでの道のりで直面したできごとやそのときの想い、そしてこれからの展望についてうかがいました。全2回のインタビューの前半をお送りします。

孤独からの救いを求めて、患者会設立を決意

 本間さんは現在、ALD(副腎白質ジストロフィー)を主とした患者会「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会(A-future)」(以下、A-future)と、重症心身障害児者通所施設「一般社団法人うさぎのみみ」(以下、うさぎのみみ)を運営しておられます。

「A-futureでは、患者さんがスムーズに在宅療養に移行できるよう社会制度の利用方法などの情報提供や、ご家族のお悩みに耳を傾ける一方、ALDに関する研究開発推進事業を行っています。「うさぎのみみ」は2022年2月に開設したばかりの事業所で、重症児者と呼ばれる医療的ケアが必要な0歳から6歳までの子どもの児童発達支援と、18歳以上の患者さんの生活介護を主な事業としています。重症児者は、学校を卒業した後は家しか生活の場がなくなってしまいます。そういう方々やそのご家族の居場所をつくりたいとの想いから始めた事業で、“誰も孤立させない”を理念としています」。

 このような事業を手がけるに至った発端は、当時6歳のご長男がALDと宣告されたこと。

「子どもの様子に異変を感じたら、地域の小児科に行きますよね。でもALDはそれで見つかる病気じゃないんです。診断のシステムもガイドラインもない時代でしたから、ADHD(注意欠如・多動症)を疑ってドクターショッピングもしました。診断が下るまで1年ぐらいかかったうえに、この病気は日本では助からないといわれて、頭が真っ白になりました」。

 診断を受けてから、本間さんはALDの患者会を探したそう。しかし日本国内には見つかりませんでした。

「日本にはなくても世界のどこかにあるはずだと思って、ALD研究の権威であるアメリカのヒューゴー・モーザー博士に手紙を送りました。すると『患者会の存在がある』と返事をいただいて。初めて「ULF」という患者会と出会いました。うれしかったですね。そこは“NOT ALONE”誰もひとりにしないという理念で活動していましたが、ほかにも食事の支援や生活のアドバイスなど、様々な活動をされていました。いろいろなアプローチの患者会があることがわかって、同じ病気の子を持つお母さんたちが前向きに生きているということを、知ることができました」。

  一方で治療については、フランスに一例だけ造血幹細胞移植で助かった症例があることを医師が見つけ出し、すぐに検査し、本間さんのご長女が適合していることも判明。日本で初めてALDに対する移植手術が行われました。

「移植後、拒絶反応が激しくて熱が下がらなかったり下痢をしたり、予断を許さない状態が続きました。息子と二人、ずっと無菌室で過ごしていて、人とのつながりは医療者と清掃のスタッフだけ。そのとき、息子を家に連れて帰ることができたら患者会を作ろう、と強く決心したんです。たぶん、同じ悩みをもつ仲間がほしかったんです」。

 今でこそヘルパーや訪問看護といった福祉制度が確立されていますが、当時はほとんどALDの在宅療養の前例がなかった時代。なんとか帰宅できたものの、大変な毎日を過ごすことになります。

「例えば、食事をするにもALDの特性で筋肉が緊張して座って食事がとれないので、抱っこして食事を食べさせるのに、一食に3時間ぐらいかかっていました。あと夜眠れなくて、昼夜逆転生活。だから私が生きている世界は、息子と私だけと感じる状態でした。それでも家で息子と一緒にいたいといえたのは、アメリカのULFという患者会のロールモデルがあったからでした」。

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ALD発症後、造血幹細胞移植をしたころ 東京慈恵会医科大学附属病院にて

普通の家族として普通の生活を

 息子さんと生活していく一方、ALD患者会の設立に向けて様々な病気の患者会とのつながりを作っていった本間さん。

「何から手を付けて良いのか分からない中で、患者会のリーダーを見ていると、すごくかっこいいんです。学会に出席して、海外の医師と英語で治療法や海外の実情について話したりして、私もそういうことができるようになりたいと思いました。でもほんとに何もできなかったから、まずはパソコンを買うところから始めました(笑)」。

 最初は手探り状態ながら、いろいろな人と会い、話を聞き、素直に取り入れ、少しずつ自身が作りたい患者会の姿を思い描いていく作業と、実際の運営に必要なノウハウを吸収する作業を積み重ねていきました。

「あるとき、いつも相談にのっていただいていた患者会のリーダーが、『患者会を作るということは社会資源を作ること』と教えてくださって。まるで雷が落ちたような、その言葉にも背中を押されました」。

 自身の活動に意義を見出しながら患者会の設立に向けて準備を進めてはいましたが、息子さんとの日々の生活やプライベートでは困難を抱えたままでした。

「医療的ケアが必要な子どもが家庭にいるということは、いわゆる普通の生活ができないということ。在宅療養が始まってしばらくは、家族全体がぎくしゃくしていました。それに私がやらなきゃっていう気持ちが強かったし、息子だけでなく娘の母として、そして妻としての役割をすべて一人で抱え込んでいました。いまから思うと考えが頑なでした。そこにヘルパーさんやいろんな人が介入することで、少しずつ薄皮を剥ぐように固さがとれて、人にお願いするということを覚えていきました」。

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7歳のころ 東京都立北療育医療センターにて

様々な困難を乗り越え、2000(平成12)年にALDの患者会「親の会」を設立しました。

「患者会やうさぎのみみを利用している方々には、自分らしく、病気や障害のあるまえのその人らしい生活をしてほしいのです。いまのお母さんって美容院に行ってネイルもして、すごく綺麗。私たちの世代って女性は家にいるもので、特に子どもが難病だったらそんなことはしてはいけないとか、申し訳ないっていう感覚だったと思います。そうじゃなくて、みんなが自分らしい生活をして欲しい。だから『在宅療養はもう一度生活を組み立て直す作業が必要』と伝えています」。

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2000年 特定非営利活動法人 ALDの未来を考える会(A-future)設立

“挑戦なくして前進なし”のマインドで未来への種まき

 患者会の活動が活発になるにつれて、本間さんは東京慈恵会医科大学の臨床研究審査委員会の委員を務めるなど、活動の幅を広げていきました。また数々の講演で演台に立つ機会も増えていったそうです。

「講演のクロージングとして、昔はみんなが集まる病院を作るのが最後の夢と話していました。ところが5年ぐらい前から、私が思い描いてるのって病院じゃないと思い始めたんです。あくまでみんなが集まる場所を作りたいんだって。患者会を作ったときも同じで、私がひとりぼっちだったので、みんなが集まって気持ちをチャージする場所が必要だと思って作っていました。また患者会を運営していくなかで、医療的ケアが必要な子どもが過ごせる場所が家以外にない、訪問看護師の確保が難しいなど様々な声もあって、集まる場所が作りたい、それならどんな場所がいいかと考えていました」。

 そうした想いが募っていた頃、デイサービスを運営している人物の講演を聞いて一念発起。自分も作ろうと決めたそう。

「実は最初は児童発達支援、放課後デイサービスをやろうと思ってたんです。でも考えてみると息子はもう大人。そこで、何より、どんなに重い障がいがあっても、大切な療育発達を促す場所、行き場所がない成人の受け皿が必要だと考えました」。

 多くの人の助けもあり、2022(令和4)年に「うさぎのみみ」を開設することができました。本間さんご自身は「やり方がわからなくても、やると決めたらまずはスタート。だから大変なんです」と話しますが、それでもきちんとかたちになるまでやり遂げてしまうのがすごいところ。なぜ未知のものに挑戦し、そこまで頑張れるのでしょうか。

「父の性格を引き継いで、なんにでもチャレンジする『挑戦なくして前進なし』とインプットされたんでしょうね」。

 またご自身が挑戦することの意義を、こう見定めています。

「うさぎのみみの運営は、毎日初めてのことばかりで課題だらけです。それに努力して苦しいことを乗り越えても、必ず成果があるわけではありません。私がやっていることも、すぐにかたちにはならないと思うんです。でもいまここに来ている子どもたちが10年、20年後の未来に見る景色をいいものにしたい。そのための種まきをすることが、私の使命だと思っています。今はそれを楽しんでいます」。

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2022年重症児者多機能型通所事業所うさぎのみみを開設

 成果が約束された挑戦などないし、本間さんの挑戦はすぐに結果がでるものでもありません。だからこそ成果を求める一方で、挑戦そのものを楽しむマインドが必要なのかもしれません。また単に楽しむだけではなく、不退転の意志を支える動機も必要なはず。それは子どものためという個人的な想いを超えたところにありました。

 続く後半では、本間さんの心の在り方を大きく変えたできごとについてお話しいただきます。


◆ALDとは

ALD(副腎白質ジストロフィー)は脳や脊髄にある中枢神経系と、腎臓の上にある副腎の機能不全を特徴とする疾患。主に男性に起こる遺伝性疾患で、小児で発症した場合は知能低下、行動の異常などが見られ、治療を施さなければ1~2年で終日臥床状態となる。女性保因者も、加齢とともに軽度の歩行障害をきたすことがある。


◆プロフィール

本間りえ(ほんまりえ)

神奈川県横浜市出身

長男の副腎白質ジストロフィー(ALD)発症をきっかけに2000(平成12)年、日本で初めてALD患者の家族会を発足し、のちに「認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会」となる。患者とその家族のケアに携わるほか、現在は東京慈恵会医科大学の臨床研究審査委員会で委員を務めている。2022(令和4)年には通所事業所「一般社団法人うさぎのみみ」を設立し、重症心身障害児者が地域の中で過ごせる居場所を提供している。

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認定特定非営利活動法人ALDの未来を考える会(A-future) https://ald-family.com/

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一般社団法人うさぎのみみ https://usagino-mimi.net/

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