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雪下 岳彦さん(前編)

Moderna- 12 September 2023

自身を変えられるつよさと、折れない心<前編>

 スポーツにおける事故は、多くの人が経験しているでしょう。しかし雪下岳彦さんが負ったのは脊髄損傷。一瞬にして人生の道筋を変えうる重大なけがでした。

🇯🇵Japan > Interview > Takehiko Yukishita (Part 1) - pic 1

手足の自由を失いながらも雪下さんは医師になるという夢をかなえ、スポーツ庁参与やスポーツチームのアドバイザーなどを歴任。現在は順天堂大学医学部で教鞭を執るかたわら、千葉ロッテマリーンズのチームドクターを務めています。その姿勢はモデルナが掲げる「モデルナのマインドセット」の一つ、「私たちは、しきたりや慣習にとらわれません」にも通じています。医師の道を見失わず、なおかつさまざまな道を歩んできた雪下さんに、これまでの足跡と自身が思う“つよさ”についてうかがいました。

先行きは見えなくても、医師の道は諦めず

 順天堂大学医学部入学を機に初めてラグビー部に入部した雪下さん。事故に遭ったのは大学6年生の夏、東日本医科学生総合体育大会、ラグビー部門の準決勝戦でした。

 「スクラムが崩れるのはよくあることですが、その時は感覚的に違いました。頭から腰にブーンと鈍い音が抜けていくような感じがあって、起き上がろうとしても手足に力が入らない。これはやばいと思って周りに助けを求めました。たまたまその試合にラグビー部の先輩であり、現在は順天堂大学スポーツ健康科学部教授の整形外科医、髙澤祐治先生がいらっしゃったんです。救急車で病院まで運んでもらい、そのまま主治医となって今なお面倒を見ていただいています」。

 一度は長野県内の病院に運ばれたものの、そこで脊髄損傷が判明。この先の長い治療期間を見越して、髙澤教授の指示により救急車で順天堂大学の附属病院に運ばれることとなりました。

 「たしかその車中で脊髄損傷だと聞かされたと思います。ちょうど少し前に整形外科の領域の勉強をしていて、脊髄損傷に関する記述の見出しに、『この世でもっとも悲惨なけがのひとつ』と書いてあったんです。“うわぁマジか”と思いましたね。この先どういう生活になるか、どういう人生になるか、全然想像がつきませんでした」。

 四肢が麻痺したうえに、気管切開で人工呼吸器を装着された状態で集中治療室に入院した雪下さん。自由がきかず身体的な苦痛も伴う中、さらに医師を目指して培ってきた知識も苦しみの一因となりました。

 「教授回診とかで医師同士で話してる内容が、普通ならあまりわからないと思いますが、だいたいわかっちゃうんです。それが精神的に大変でしたね」。

 しかし逆に救いとなることもあったようです。そう実感できたことのひとつが、集中治療室にいるときや出た後に、不眠や幻覚、妄想など心因性の異常が起こるICUシンドローム(集中治療後症候群)にかかった時です。

 「これがICUシンドロームか、と客観的に理解できたのはよかったですね。例えば体のどこかが痛い時、アザがあるから痛いんだってわかれば安心しますが、わからなければ何かもっと悪い原因があるんじゃないかと不安になります。僕の場合は原因や状態がわかったので、それでずいぶんと助かりました。もし知識がなかったら、そのまま錯乱してたんじゃないかと思います」。

 入院生活は長きにわたり、3月の卒業試験の時期になっても退院はかないませんでした。しかし雪下さんは病室で順天堂大学の卒業試験を受け、無事に卒業を果たし医師国家試験に合格します。

 「当時は医師になれない欠格事由が明文化されていなかったこともあり、僕のような状態でも医師になれるか大学側が行政に確認するなど、積極的に動いてくれたんです。教授が病室に来て試験をサポートしてくれて。まだ人工呼吸器も取れない状況で正直ほかの学生よりプレッシャーは大きかったのですが、医師の道が閉ざされなかったのは本当にありがたかったですね」。

 後に転院したリハビリテーション病院では、けがのために医師をあきらめ他分野に進んだ元医学生と話す機会もあったそうです。事故に遭ったのは実習なども終わり、あとは卒業試験を残すだけのタイミングだったこと、さらに大学に後押ししてもらえたこともあり、自身は恵まれていたと振り返ります。

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順天堂大学医学部ラグビー部で活躍していたころの雪下岳彦さん

アメリカ留学。最高の車いす席と出会えた感動

 卒業の翌年に医師免許を取得し、雪下さんは順天堂大学附属順天堂医院の精神科で2年間の研修を終えましたが、その後2002(平成14)年からハワイ大学マノア校に留学されています。

 「リハビリで通院していた病院で、僕と同じぐらいのレベルの人がハワイ大学でサポートを受けながら学んでいると聞いたんです。ちょうどもっと学んだり経験を積みたいと考えていた時期で、自分がやってきたことにつながりそうだということで、心理学を学ぶために留学を決めました」。

 さらに2004(平成16)年、スポーツ心理学を学ぶためカリフォルニア州にあるサンディエゴ州立大学に留学先を移しました。

 「ハワイ大学に慣れてきて、アメリカ本土の方に行きたいなという欲が出てきたんです。もともとNFLとかアメリカのスポーツが好きでしたが、ハワイはあまりプロスポーツチームがないんです。そのため、プロスポーツチームが多いカリフォルニアあたりに行きたいなと思って」。

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サンディエゴ州立大学に留学中の雪下さん

カリフォルニアに移った同じ年に、サンディエゴ・パドレスの本拠地、ペトコ・パークが開業していました。荷ほどきも終え落ち着いてきた頃、雪下さんは試合を見に行くことにします。

 「メールで『初めて行くんだけど、おすすめの車いす席を取ってほしい』と伝えてチケットを買って。いざ球場に行くと、その席の場所がわからない。スタッフに聞くと遠回りをして、こんなところの先に席があるのかという感じの通路を案内されました。その先のドアを開けたら一塁線の真ん前で、車いす席はライトより少し前の最前列にあったんです。こんないい場所で試合を見られる、こんなところに車いす席を作っていいんだって、本当に感動して。サンディエゴにいる間はできるだけ球場に行こうと思いました」。

 ペトコ・パークでは車いす席が全部で1,600席ほど設置されていているそう。しかもすべての価格帯の席に分散されていて、どの位置からも観戦できるといいます。

 「作ろうと思えばどんな場所にでも席は作れるんだ。そこに作るということは、そこで見てもらいたいという意思があるんだと感じ、その意思そのものがすごいなと。同時に、日本にもそういう施設ができたらいいなという思いが高まりましたね」。

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ペトコ・パークで車いす席が充実していることを目の当たりにした雪下さん

その後ペトコ・パーク以外にもさまざまなスタジアムを巡りスポーツ観戦を楽しみつつ、車いす利用者にとってハードルが低い施設の多さに驚いたそうです。

 「いま大谷翔平選手が所属しているMLBエンゼルスのエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム、当時まだイチロー選手がいたシアトル・マリナーズのセーフコ・フィールド(当時)、NBAの八村塁選手がいるロサンゼルスレイカーズのステイプルズ・センター(当時)。基本的にどこも車いすで出掛けても楽しめる施設でした」。

 アメリカにはADA(米国障害者差別禁止法)という法律が整備されていて、さまざまな施設のバリアフリー化が義務付けられています。

 「例えば空港でも、車いすを使っている人が飛行機に乗ることに慣れてるんですよね。成田空港だとそうはいきません。実は留学前に一度ハワイに行ったことがあったので、日本よりは快適だろうなという感覚はありました。それでもアメリカで暮らしているうちに気づいたことは多かったですね。日本なら普通の不便がアメリカにはなく、ずっと動きやすいのです。アメリカと日本を比べて、初めてわかったことがたくさんあります」。

 雪下さんは現在、日本とアメリカの競技場の車いすの写真を「♯世界の車いす席」とハッシュタグを付けてツイッターで発信しています。

 「スポーツ観戦に出かける時、日本は車いす席や駐車場があるか、段差がないかなど、あらかじめ調べておかないと難しいことがあるんです。自分が困ってるということは、ほかにも困ってる人がいるはずだから、みんなで見てシェアできればと思って紹介しています」。

「医師」と「スポーツ好き」が重なり役割を得る

 サンディエゴ州立大学での留学はご家庭の事情もあって1年で終え、帰国することとなりました。そして2年後の2007年には、順天堂大学の小林弘幸教授に誘われ自律神経の研究に携わり、医学博士を取得しました。

 「自律神経の研究をしているうちに栄養の重要性に気付き、そちらの分野も勉強していました。その頃にラグビーの東京サントリーサンゴリアスのアドバイザーや、エディ・ジョーンズが監督に就任したラグビー日本代表チームでチームドクターをしていた髙澤先生のサポートに携わるようになりました」。

 こういった形でスポーツに関われることに、大きな喜びを感じたと言います。しかしラグビーは自身が大きなけがを負うことになったスポーツ。どんな心境だったのでしょうか。

 「僕のようなけがが起きなければいいな、というところです。けがって避けられるものと避けられないものがあると思っていて、栄養不足や体の状態が悪い時ってけがをしやすいんです。あらかじめそこを改善できれば、けがは減らせるんじゃないかと。ラグビーを恨む気持ちはないですし、やるからには安全を第一に、少しでも役に立ちたいという思いでした」。

 そして2016年からの3年間は、同じ順天堂大学出身の鈴木大地氏が長官に就任した縁からスポーツ庁の参与も務められました。

 「医師としてスポーツを通じた健康増進に、車いす利用者として障害者スポーツの普及に、それぞれの視点からアドバイスがほしいとのことでした」。

 参与として取り組んだ中でも、印象的な事案を挙げられました。

 「知り合いに車いすテニスをしているお子さんとご家族がいて、車いす専用のテニスコート建設が頓挫していて困っているという話しを聞いたんです。ちょうどその時、そのお子さんがジュニアのランキング1位になったので、表敬訪問というかたちにしてその様子をマスコミに取材してもらい、車いすスポーツができる場所を増やしたいというアピールをしたんです。そのこともあってか、その後コートで練習できるようになったようで、取り組んだかいがありましたね」。

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障害者スポーツ推進プロジェクトに有識者として参加した雪下さん

ADAのような法律のない日本で障害者スポーツの振興は難しいと感じる一方、このような成果も挙げられました。

 後編では千葉ロッテマリーンズのチームドクター就任、密かに抱いている思いなどについてうかがいます。

◆プロフィール

雪下岳彦(ゆきしたたけひこ)

神奈川県出身

順天堂大学医学部・スポーツ健康科学部非常勤講師、医師・医学博士。順天堂大学医学部6年生の時に、ラグビーの事故で脊髄損傷を負うも、医師免許を取得。アメリカ留学を経て、自律神経、栄養学の研究に携わる。現在は大学で講師を務めるかたわら、東京サントリーサンゴリアス、ジェフユナイテッド市原・千葉、千葉ロッテマリーンズなど、スポーツチームのメディカルサポート、株式会社土屋顧問・土屋総研主任研究員も行っている。

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